ウィリアム・モリス【窓コラム】

ウィリアム・モリス

ウィリアム・モリスはどんな人物?

ウィリアム・モリスといえばデザイナーとして有名ですが、実は詩人であり、熱烈なマルクス主義者でした。評論家のジョン・ラスキンに影響を受け、芸術家になることを目指します。友人には、画家のエドワード・バーン=ジョーンズ、ガブリエル・ロセッティ、ポール・マーシャルがおり、建築家のフィリップ・ウェッブらと共にモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立しました。のちのモリス商会です。モリスがこのビジネスを始めた理由はイギリス19世紀に起こった産業革命でした。
産業革命はそれまでの社会を一変させました。大量生産は生活を豊かにした反面、粗悪品も多く流通しました。そして、それまでの中世的な手工業が規模の経済によって衰退していきました。モリスは大量生産による粗悪品ではなく、手工業による美しく高い品質の製品が生活者には必要だという考えからモリス商会を興します。しかし、理想と現実のギャップは大きく、モリス商会の製品は高価なために一般の生活者が手にすることはありませんでした。
しかし皮肉なことに美しく高い品質であったからこそ、150年もの時を経ても色褪せることがなかったモリスのデザイン。今でもカーテンや壁紙などインテリアでモリスデザインを楽しむことができます。また、マスキングテープなど日常で使える商品に展開されていることをモリスが知ったら、きっと喜んでいるのではないでしょうか。

モリスデザイン

ブラックソーン

ブラックソーン[デザイン/ウィリアム・モリス 1892年]
ブラックソーン[デザイン/ウィリアム・モリス 1892年]

早春に小さな花を咲かせるバラ科の樹木のリンボクを中心に、ヒナギクやバイモ、忘れな草が周囲に描かれたこのデザインは、モリスがケルムスコット・マナーの自然を観察することで生まれたものです。オリジナルの壁紙は、クラシカルなヴィクトリア調テイストのインテリアによく取り入れられてきました。

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ウィローバウ

ウィローバウ[デザイン/ウィリアム・モリス 1887年]
ウィローバウ[デザイン/ウィリアム・モリス 1887年]

モリスは自然からインスピレーションを得ていました。このパターンはテムズ川近くの別荘、ケルムスコット・マナー付近の小川沿いを次女のメイと散歩していた際に川沿いに茂る柳から発想したものと、メイの書簡にあります。

ケルムスコット・マナーとは?


「ケルムスコット・マナーは、イングランドのオックスフォードシャーにある村、ケルムスコットにある16世紀の石造りのマナーハウスです。アーツ・アンド・クラフツ運動の創設者であるウィリアム・モリスと彼の家族が1871年から1896年まで住んでいたことで最もよく知られています。モリスはマナーと周辺の田園地帯を愛し、それらは彼の多くの詩、テキスタイル、壁紙のインスピレーションの源となりました。

マナーはもともと16世紀に建てられましたが、17世紀と18世紀に増築されました。モリスと彼の家族が引っ越してきたとき、家は荒廃していましたが、モリスはそれを復元し、装飾することに着手しました.彼は、中世の芸術と工芸に触発された装飾スキームを作成しました。家には、モリスの友人であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやエドワード・バーン=ジョーンズによるステンドグラスの窓や壁画が飾られています。

モリスはケルムスコット・マナーを単なる家以上のものと考えていました。彼は、アーツ・アンド・クラフツ運動の原則を具体化した場所としてそれを考えていました。彼は、マナーハウスとその庭園を、人々が自然の美しさと手作りの工芸品の価値を体験できる場所にしたかったのです。

モリスが亡くなった後、ケルムスコット・マナーは彼の娘であるメアリーによって引き継がれました。メアリーは父親の遺産を保存することに尽力し、家は一般公開されました。今日、ケルムスコット マナーは、ナショナル トラストによって運営されており、英国で最も人気のある観光地の 1 つとなっています。

ケルムスコット マナーを訪れる観光客は、モリスが住んでいた家を見学できます。マナーハウスの庭園も見学可能で、モリスがデザインしたものです。庭園には、中世のハーブガーデンや菜園、野生の花の牧草地などがあります。

ケルムスコット マナーは、アーツ アンド クラフツ運動の重要な拠点です。また、ウィリアム モリスの生活と仕事を知るための貴重な場所でもあります。」